「違い」が響き合い、新たな領域へ
知と人のシナジー
グローバルとローカルをつなぐ取り組みで観光産業のリーダーを育成する
井上 弘貴 教授 × 辛島 理人 准教授
「異文化共存」を見据えた文化研究の先端的領域を開発し、人類の文化を把握するための新たなパラダイムを構築することを理念とする神戸大学国際文化学研究科。そこには、世界各国の多彩な文化研究を専門とする教員・学生が共存しています。そして、分野の垣根を超えたコミュニケーションが日々、新しい研究領域や、これまでになかった学びを生み出しています。
「知と人のシナジー」は、そんな本科で出会い、化学反応を起こしているお二人にスポットを当てる対談連載です。第一回のゲストは、2025年度に新設されたばかりの越境文化論コースから、井上弘貴教授と辛島理人准教授にご登場いただきます。お二人の出会いから生まれた観光分野での研究・教育と社会連携とは―。
構成/笹間 聖子
(プロフィール)
井上 弘貴(いのうえ ひろたか)
1973年東京生まれ。神戸大学大学院国際文化学研究科教授。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程満期退学。博士(政治学)。専門は政治理論、公共政策論、アメリカ政治思想史。早稲田大学政治経済学術院助教、テネシー大学歴史学部訪問研究員などを経て現職。
辛島 理人(からしま まさと)
1975年大阪生まれ。神戸大学大学院国際文化学研究科准教授。一橋大学経済学部卒業後、同大学院を経て渡豪。20世紀半ばの日本・東南アジア研究をテーマにオーストラリア国立大学で歴史学の博士号を取得する。国際関係史を専門とし、日米の文化交流や観光の国際関係について学んでいる。
お向かいの研究室で、ルールを教わった
―まずはおふたりの研究分野と、出会いについて教えてください。
井上:僕の専門は政治学で、アメリカの政治について研究しています。その傍ら、2009年に神戸大学に着任する以前に、まちづくりにも携わってきました。市民団体の事務局を務めたり、出身地である東京都の自治体で、非正規職員として勤務していた時期もあります。
辛島:僕は国際関係史と経済史が専門で、日本とアジアの近代史や文化と経済との関係性を研究しています。そのなかで、国際関係と観光の在り方にも関心を寄せています。最近でいえば、日中関係の悪化でコロナ後も中国から日本への観光旅行が回復しないなど、政治的な文脈でも観光は使われているんです。
井上:辛島さんと出会ったのは、神戸大学に着任されたタイミングですよね?
辛島:2016年10月でした。研究室がお向かいだったんですよね。でも実は僕はそれ以前から、同じ学会のメンバーとして存在は知っていましたよ。神戸大学に来てからは、所属講座が同じ「地域文化論」なので、大学院入試など、さまざまな事務的業務で会ってお話する機会がありました。井上さんは大学のルールやシステムに精通しているので、教えていただけて助かりました。お互いロスジェネ世代で話題も合いましたし(笑)。
井上:雑談から、徐々に人となりや研究内容を知っていった感じですよね。辛島さんは経済がご専門ですから、企業の経営者をはじめ、幅広い方と交流する機会が多いことに驚きました。そんな日常会話の中から、まちづくりへの関心を持っていた私と、オーストラリアへの留学経験があり、グローバル社会の中での日本の位置付けや戦略に関心を持っていた辛島さん、双方の関心が「観光」というテーマでつながっていったんだと思います。
「UN Tourism」の賛助加盟員は「やろう」と即決
―観光分野での研究・教育は、どのようにはじまったんですか?
井上:僕は着任した翌年から、演習でまちづくりについて教えていました。ただ、最初は学生たちのニーズをうまく汲み取ることができず、演習の進め方に悩みました。転機は、2012年に参加してくれた学生たちです。城崎温泉の観光を絡めたまちづくりや夜間景観を活かした地域活性化について、卒業論文を書いた学生たちもいました。といっても、当時は「観光がテーマ」とは僕も学生も意識しておらず、まちづくりや地域活性化の観点から一緒に学んでいました。
辛島:2014年からは渡米されていますよね。
井上:そうなんです。「学生の間で観光に関心が高まっている」とようやく理解したところで、研究のためアメリカに行ったので、ようやく掴んだ流れが一旦断ち切れてしまいました。しかし帰国後の2015年度からは「まちづくりだけでなく観光のこともしっかりやっていこう」とあらためて考え、演習を再スタートしたんです。
辛島:在外の期間中にニューヨークの大学と協定を結んで研修プログラムもはじめられたと聞きました。
井上:2017年度からです。幸いなことにいろいろな学部から多くの学生が参加してくれました。そこから3年間続いたのですが、2020年、新型コロナの蔓延で海外に出れない状況になってしまって……。辛島さんはそれ以前からさまざまな場所へ訪れて、観光分野の研究を模索されていましたよね。
辛島:2018年から神戸市内の観光業関係者と交流をはじめていました。不思議な偶然もあったんです。2019年に知人に誘われて野球を見に行ったら、その日たまたま、ANAの関西支社長だった新居勇子さんが始球式のボールを投げていました。投球フォームに感銘を受けて手紙を出し、大学での講演をお願いしたら、快く引き受けてくださって。
井上:面白いですね。そのご縁から2020年には、奈良にある「UN Tourism(国連世界観光機関)」の駐日事務所を一緒に訪問しましたよね。
辛島:全日空がUN Tourismの賛助会員だったんですよね。UN Tourismは持続可能な観光の促進を責務とする国連の機関で、政府以外に民間企業や大学なども賛助加盟員として参加できます。そして、加盟すると世界的な観光の潮流についての情報共有や、本部と共同での観光研究出版物の発行など、多くのメリットがあります。
井上:そのUN Tourismの賛助加盟員に神戸大学もならないかと誘われたんですよね。思えば、あれがふたりで本格的に観光に取り組む入口だったんじゃないでしょうか。
辛島:そうかもしれませんね。加盟員はいいお話ですが、年会費もかかりますし、費用対効果を考えると僕は少し懐疑的でした。ところが井上さんに相談したところ、「やろう」と即断即決されたのでびっくりしました。普段は慎重なのに(笑)。
井上:たしかに実務的なことには慎重ですが、UN Tourismの話は聞いた瞬間、この機会を逃してはいけないと思ったんです。
美山の観光地域づくり研修やユダヤ人観光ツーリズムを実施
―おふたりの研究は、どのように交わっていかれたんですか。
井上:美山での研修が最初ですかね? 僕は2020年にコロナ禍に突入して、海外留学へ学生を送ることができなくなってから、国内研修に活路を見出そうとしました。古くからの茅葺き屋根の集落が残る「かやぶきの里」で有名な、京都美山のDMOで当時、事務局長をしていた卒業生の高御堂和華さんに学生たちの受け入れをお願いしたんです。そうしたら快諾してくれて、2020年度末に美山で観光まちづくりを学ぶ研修がはじまりました。
辛島:その年の12月、神戸大学が「UN Tourism」の賛助加盟員になることが決定し、「ベストツーリズムビレッジ(BTV)」すなわちUN Tourismが「持続可能な観光のモデル」として認定する地域の募集があったんです。僕は直感的に美山が応募したらいいんじゃないかと思い、井上さんに相談したら「いいんじゃない」と。
井上:いやでも、僕はすこし躊躇がありました。選ばれると、各国のBTVと連携していけますし、国内のBTV同士で協力して、日本の観光を盛り立ててもいけます。ただ申請に際して、美山にかかる負担があまりにも大きくなりはしないだろうかということが心配でした。
辛島:でもお声がけしたところ、井上さんのかつての教え子である高御堂さんが奔走してくれて、日本で最初のベストツーリズムビレッジに選ばれました。
井上:辛島さんの判断は正しかったということですよね。2020年には新しい取り組みをやろうということで、「ユダヤ人観光」の可能性を探る「GSPグローバルツーリズム」もふたりで計画しましたよね。GSPグローバルツーリズムとは、「実体験を通して、地球規模で影響を与える問題を学ぶ」ことを目的に,学生全員が海外研修とフィールド学修に参加する実践型プログラムです。
辛島:なぜ「ユダヤ人観光」かといいますと、神戸は、ポーランドなどで迫害されたユダヤ人がヨーロッパから逃れ、一時期滞在していた歴史があるんです。福井の敦賀に上陸して、1941~1942年に神戸に滞在、その後オーストラリアやアメリカなどに移動したのですが、ユダヤ教の教会など、その足跡がいくつか残っています。
井上:学生たちはその歴史を学んだうえで、敦賀と神戸をつなぐ周遊旅行をプランニングしました。そして、オンラインでニュージーランドの学生たちにプレゼンしたんです。いろいろな事情により1回限りで終了してしまいましたが、この取り組みはグローバルとローカルをつなぐ、私達ふたりの関心が明確に出たプログラムだったと感じています。関わった参加してくれた7名の学生からは、日本政府観光局などに就職した者が出ました。このときの参加者とは今も関係が深いです。
攻めと守りのちょうどいいバランス
井上:2023年には、姫路市と「地域連携協定」も締結しました。地域連携協定とは、大学の研究・教育のリソースを地域に持っていくことで、現地にもさまざまな相乗効果が生まれていく取り組みです。2023年、24年度は、日本文化を知ってもらうことを目的に、神戸大学に在籍している留学生と、彼らをサポートする国際共修チューターの学生たちを連れて姫路城と書写山円教寺に行き、この取り組みは学部行事として続いています。
辛島:美山にも同じく2023年、24年度に留学生を連れていき、24年度にはしめ縄づくりに参加してもらいました。多くの参加者から、「日本文化を知る非常に良い機会になった」というアンケート回答をもらっています。
井上:集大成のような体験もありました。世界100ヵ国以上の国と地域の情報が集結する旅行の博覧会「ツーリズムEXPO2023 大阪・関西」に出展したんです。それまで学生たちと共に行った、グローバルとローカルをつなぐ試みについて広く発表することができましたし、観光旅行業で働く神大の卒業生の方がたが立ち寄ってくださいました。
辛島:こうやって改めて振り返ってみると、井上さんは学生への教育を規律正しくされていて、卒業生はさまざまなところで活躍されていますよね。つながりも深い。私は企業とのつながりや、関西の出身なので、地元の人間とのつながりもあります。それぞれに違う強みをミックスできるのが、ふたりで取り組む良さかもしれません。
井上:性格も違いますよね。辛島さんはさまざまな人に幅広く声をかけて関係づくりをするのが得意で、私は辛島さんが作ったつながりのなかで、どんなふうに学生を学ばせるかを考えるのが得意です。攻めと守りといいますか、そこがちょうどいいバランスなんじゃないでしょうか。
辛島:ありがとうございます。2024年度後期にははじめてコースの垣根を超え、お互いの演習に参加している学生の合同プログラムも実施できましたね。しっかり交流して、一体になってくれていました。
井上:ツーリズムEXPO2023の出展に立ち寄ってくださった関西テレビ放送の方からお声がけいただいた、観光に関する映像づくりを行うプログラムです。学生たちはVRカメラを使って、「神戸市水道筋商店街」を撮影しました。商店街は生活の場ですが、海外の人から見たら「日本の暮らしを体験できる場所かもしれない」という再発見がテーマでしたね。
辛島:上映会では、「以前ここに住んでいました。懐かしい」と学生たちに震災前の風景を教えてくれる方もいて、新旧の世代が交流する時間になっていました。久しぶりに行ってみたいという気持ちになった方もいて、地域活性化につながる可能性を感じました。
井上:「日常のなかに、ワクワクを体験できる観光の種があるんじゃないか」と私も再認識できました。
観光業界で活躍する、次世代のリーダーの育成を
―今後はどのように研究・教育を進めて行かれる予定ですか。
井上:これまで学部教育で蓄積してきたノウハウを、より高度な教育研究、つまり大学院の研究教育にどう発展させていくかが次の課題だと思います。そのために2023年度末には、美山と同時期にベストツーリズムビレッジに選ばれた北海道のニセコ町を拠点にしている「サスティナビリティ・コーディネーター協会」と産学連携協定を結びました。
辛島:同協会は、「持続可能なまちづくり」をしている地域が取れる国際認証を広めようとしている団体です。国際認証からビジネスを生み出し、より発展的な地域づくりをしていく方法を考えているのです。2025年3月末には、同様のリカレント教育の一環として、兵庫県の神鍋でGSTC(グローバル・サステナブル・ツーリズム協会)の講習も実施します。
井上:GSTCは「持続可能な観光」についての基準を定めるアメリカの国際機関で、受講後の試験に合格すると、職場や地域で「持続可能な観光」を実践できます。日本における講習でどんな結果が出るかは分かりませんが、修了者の働く企業や地域にSDGs(持続可能な開発目標)に関心を持つ旅行者が増え、単価が上がることが理想ですね。
辛島:日本人相手のビジネスで、うまくいくかどうかはまだ分からないですよね。欧米では、たとえば飛行機のチケットを買う際に、「あなたはこのフライトで二酸化炭素をこれだけ出します。負担料を上乗せしますか?」と聞かれるシステムがあります。そこで払う人が多いのですが、日本ではまだ定着していません。消費者心理の問題か、売り手の意識の問題か、解明すべき課題です。
井上:そこはまだ検証が必要ですよね。一緒に注視していきましょう。これまでは私たちの所属コースが異なっていましたが、大学のコースの再編があり、2025年度からはふたりとも「越境文化論コース」所属となりました。今後はより密接に連携していけますから。
辛島:観光産業は低賃金、長時間労働などのイメージがあり、人手が集まりにくい産業です。しかし神戸大学の卒業生には、業界のなかで、リーダーとして活躍している人が数多くいます。協力して次世代のリーダーを育成すると共に、すでにリーダーとなっている人が学び直せる場所を提供していきましょう。
関連情報
お知らせ
・国連世界観光機関駐日事務所、国際協力機構、南丹市美山観光まちづくり協会とともにワークショップを開催
・「ローカル・グローバルと公・民をつなぐ観光リカレント教育」を開設