国際文化クロストーク Vol.2

「違い」が響き合い、新たな領域へ
知と人のシナジー

「不完全」な存在同士が出会う場所
アフリカ哲学とコーパス言語学から見た、共生のかたち

梅屋 潔 教授 × 石川 慎一郎 教授


「異文化共存」を見据えた文化研究の先端的領域を開発し、人類の文化を把握するための新たなパラダイムを構築することを理念とする神戸大学国際文化学研究科。そこには、世界各国の多彩な文化研究を専門とする教員・学生が共存しています。そして、分野の垣根を超えたコミュニケーションが日々、新しい研究領域や、これまでになかった学びを生み出しています。

「知と人のシナジー」第二回は、文化人類学者であり、アフリカン・コンヴィヴィアリティ・センターを創設し、アフリカの研究者、学生との交流を推進する梅屋潔教授と、コーパス言語学者であり、日本語教師養成事業を主導する石川慎一郎教授にご登場いただきます。海外との接点が多いものの異なる分野のふたりが、「多文化、多国籍との共生」をテーマに語り合うと、驚くほど多くの接点が浮かび上がりました。

構成/笹間 聖子

 

(プロフィール)

 

梅屋 潔(うめや きよし)

1969年静岡生まれ。神戸大学大学院国際文化学研究科教授・研究科長。ランガア研究所名誉研究教授。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(社会学)。専門は文化人類学、アフリカ民族誌。東北学院大学教養学部助教授、ケープタウン大学人文学部客員教授などを経て現職。

 

 

石川 慎一郎(いしかわ しんいちろう)
1969年神戸生まれ。神戸大学文学部卒業。神戸大学文学研究科・岡山大学文化科学研究科修了。博士(文学)。専門は応用言語学、コーパス言語学。静岡県立大学講師、広島国際大学講師などを経て現職。現在、文化庁文化審議会国語分科会委員、文部科学省日本語教師養成・研修推進拠点整備事業(近畿ブロック)拠点代表。

 

 

 

民族誌と「単語の誌」意外な2つの共通性

―まずはそれぞれの研究分野についてお聞かせください。

梅屋:私の専門は文化人類学です。簡潔に言えば、「自分が属していない文化のエリア」に長期間住み、生活様式、習慣、信仰などを「民族誌(エスノグラフィー)」にまとめることを主な仕事にしている学問です。その起源は探検家や宣教師、もっと古くはシーザーの『ガリア戦記』、日本でいえば『魏志倭人伝』まで遡ることができます。つまり人間には、古来から自分と違うバックグラウンドを持つ人への関心があり、そのことを書き留め、考えをめぐらせてきていた。その流れを引き継いでいるのが文化人類学だと考えています。

石川:私が専門にしているコーパス言語学では、言語データを大量に集めてコンピュータで分析することにより、実際の言語使用における単語や文法の「振る舞い」のパターンの発見を目指します。たとえば日本語の「まさか」という言葉を例にすると、人はどんな時にどの程度「まさか」を使うのか、その前後にはどのような表現が来るのか、といった問題をデータから解き明かしていきます。伝統的な言語学が「文法」という抽象的な枠組みを前提にして、そこから議論を始めることが多いのに対して、コーパス言語学では生のデータが重視され、そこからボトムアップ式に考察を進めていきます。この点で、文化人類学とも共通性があるように感じます。

梅屋:どういったところが共通しているのでしょうか。

石川:文化人類学者の仕事が民族誌を書くことだとすれば、コーパス言語学者の仕事は「単語誌」を書くことだと言えるかもしれません。個別の語や句の振る舞いに関して、データからあらゆる情報を抽出し、その機能や意味を細かく記述していきます。対象のありようをあるがままに徹底的に詳細に記述することを重視する点で、人類学のアプローチとの類似性を感じます。もう一つの共通点は異文化、未知なるものへの純粋な関心です。コーパス言語学では自言語を扱うこともありますが、外国語の分析も盛んです。自分の知らない言語について、そのメカニズムをデータから解明したいという気持ちは、文化人類学者とも共通しているのではないでしょうか。

梅屋:たしかに。言語学と文化人類学の間には記述言語学という分野もありますよね。特定の言語について記述する研究をされていて、民族誌ではないけれど、ある民族の中の流通している言語を集めていく学問です。 そういった研究はコーパス言語学に近いと思いますし、民族誌の中でも、言語を含めて民族や文化の生活様式や社会構造を記述し、文化要素の共通項や差異を比較したり、ルーツをたどろうとする「比較民族誌」という分野もあります。

 

「不完全さ」を認める。アフリカ哲学と学習者コーパスの交差点

―梅屋先生はアフリカの「インコンプリートネス(不完全さ)」という概念についても研究されているそうですね。

梅屋:インコンプリートネスは、カメルーン出身の人類学者 フランシス・B・ニャムンジョさんに出会って知ったアフリカの哲学の要素のひとつです。東洋思想や仏教思想で説かれている概念とも似ていますが、改めて重要性を再認識させられました。ニャムンジョさんは、「人間存在というのはもともと不完全なものだ」と。西洋・近代が目指してきた「右肩上がりで完全無欠を目指す」あり方のほうがむしろ異常で、不完全さを容認することこそが人間の本来の姿なのだと説かれています。それは、私が研究してきたアフリカの妖術や呪術とも接続する感触がありました。

石川:どういったところで接続するのでしょうか。

梅屋:ひとつは、呪術の位置づけです。キリスト教やイスラム教など一神教的な力ではなく、善悪問わず発揮される力です。それが社会的に肯定され、承認されることもあれば、認められないこともある。相反する側面があるのです。呪術はかつては、「神の力の零落したもの」とか「近代が完全でないから、残存した前近代の名残」と捉えることが多くありました。しかし、「神も万能でなく不完全で、人間同様、欠けたものを補いたい欲望をもつ」と捉えると、日本の神観もアフリカ呪術も、いきいきした同時代のドラマとして捉え直すことが可能です。また、この考え方のもとでは、単に相反する面をいい募るだけに終わらず、呪術と社会の公共性との関係を見ることができます。

石川:なるほど。具体的に、どのような関係性がありますか。

梅屋:たとえば21世紀のアフリカでは、選挙やサッカーのワールドカップといった「近代が移植したもの」のなかで、呪術師が活躍しています。スマホが普及し、知的スキルはほとんど同じはずの現代に、なぜそういった価値体系が消えないのか。これを単に「遅れている」と片付けるのは危険な論理です。むしろ、古代から近代を貫くような価値体系があるのではないか。そこにインコンプリートという概念がつながるんです。よく考えれば日本でも、例えば高校生が「私、霊感強いんだ」と言うことに対して、「そんなの迷信だ」とはあまり言わないでしょう。文化というのは、割り切れないものを全部「迷信」と押しのけるわけではなく、一部を残したり、強めたり弱めたりしているものなんです。

石川:なるほど。コーパス言語学のほうでも、下位領域に「学習者コーパス研究」というものがあり、第2言語学習者の産出を収集・分析します。こうした研究で示されているのは、第2言語の発達が「初級→中級→上級→母語話者」という単純なモデルに必ずしも収束せず、もっと複雑で多岐に渡るものだということなんですね。第2言語学習者、とくに日本の英語学習者は、母語話者を完全無欠のモデルと思い込みがちで、無限にそこに近づいていくべきだ、そこに至らない限り自分はいつまでも不完全なのだ、といった感情を持ちがちです。この点に関しては、「右肩上がりで完全無欠を目指すあり方のほうがむしろ異常」という視点から学べる点があると感じます。学習者研究の文脈に引き寄せて言えば、「学習者はすべてインコンプリートで母語話者はすべてコンプリート」「学習によってインコンプリートをコンプリートにせねばならない」という思い込みを問い直すことも重要でしょうね。我々は、学習者の言語を「中間言語(インターランゲージ)」と呼んだりします。母語でもないし、目標言語でもない、その真ん中にある独自の言語なのだと。価値の上下をつけないよう、気をつけて議論していますね。

梅屋:誰のどんな言葉が上でも、下でもないと。

石川:はい。英語研究の世界では、「母語話者が中心で、学習者が周縁」ということに加えて、同じ学習者でも、「欧州圏学習者が中心で、それ以外は周縁」という厳然たる上下構造がありました。実際、過去の主要な英語学習者コーパスは、大半が欧州圏学習者のデータでできていたんですね。私が長年取り組んでいる「ICNALE(イクネール)」という学習者コーパス開発プロジェクトでは、アジアの20地域で大学生の英語産出データを集めており、現時点で世界最大級の公開型言語資源となっています。周縁化された学習者に光を当てる、特に周縁化されたアジア圏学習者に光を当てるというのは私の研究の一貫したテーマで、お話に出てきた「右肩上がり」のモデルを乗り越えて、「不完全さ」をそのまま受け止めるという姿勢にもつながるものかもしれません。

梅屋:「不完全さを容認する」という話でいえば、私自身、ケープタウン大学で客員教授をしていた時に目が開かれる体験がありました。大学院生たちに「日本はどうやって母語で高等教育を行うという偉業を成し遂げたのか」と問われたんです。アフリカでは、かつての植民地支配者の言語を媒介しないと、高等教育が受けられないという矛盾を抱えています。そこから見れば、母語で学べること自体が偉業なんだと。日本人は英語がうまく話せないことに気後れしがちですが、その不完全さも堂々とさらけ出していいのかもしれないと思いました。

 

気仙沼で驚いたアフリカ人、日本語教師になった留学生

―梅屋教授が設立されたアフリカン・コンヴィヴィアリティ・センター(以下、ACC)の活動と、石川教授が牽引されている「日本語教師養成サブコース」の現在についてお聞かせください。

梅屋:ACCは2025年4月、神戸大学が、より積極的にアフリカの研究者、学生と交流するために立ち上げたものです。アフリカから研究者を招いてセミナーを開いたり、授業に入ってもらったり、様々な分野での交流が進んでいます。直近では、2026年2月にアフリカから4人の研究者を迎え、宮城県の気仙沼市にフィールドワークに行ってきました。海外から研究者が来ると東京や京都に行くのが常ですが、全員人類学者なので、人の話を聞きたいわけです。ですから、私自身が調査したことがあり、一般市民と交流をセッティングできる場所ということで、気仙沼市を選びました。

石川:参加された方々は、どんな感想を持たれたのでしょうか。

梅屋:ウガンダと南アフリカから来た研究者が驚いていたのは、気仙沼の方々の「互酬性」です。いわば贈り合いの文化なんですが、本当によくものをくれる。ある人は、東日本大震災の伝承館に訪れたとき、「自分より高齢の女性が杖をついているのに、遠いところから来た若いゲストだからと席を譲ってくれた」と。また、宿舎に帰ったら、誰からか贈り主がわからない日本酒が届いていたり……。東北では同族団といって、一族で村のなかの互助グループを形成する仕組みがあるのですが、その仕組みや、助け合う文化もアフリカと非常に似ていると。加えて、アフリカでは日本というと「国土のほとんどが工場」だと信じている人が多いので、山村や漁村、カキ工場などを見てかなり驚いていました。

石川:それは素晴らしい体験ですね。「日本語教師養成サブコース」は、国際文化学研究科に2015年度に設置された副専攻課程で、すでに10年以上の歴史があります。日本語教師養成を大学院レベルのみで行っているのは全国的にも珍しく、日本語教育の次世代のリーダー人材の養成を目指しています。研究科の前期課程には毎年50名程度の新入生が入ってくるのですが、そのうち、1~2割がサブコースを受講します。それぞれの専門の研究をしながら、プラスアルファで日本語教育の知見と技術を身に着けられるのがコースの魅力ですね。特筆したいのは留学生の受講も多いということです。日本語の非母語話者である留学生が資格試験を経て、母語話者でもなかか取れない「登録日本語教員」という国家資格を取る例も増えてきています。言語教育や言語研究の伝統的な上下関係をひっくり返す、という意味でも意義深いことだと思っています。

梅屋:日本語教師養成サブコースとACCで連携することもできそうですね。

石川:私もお話をしていて、連携できる部分がたくさんあると気付きました。たとえば、アフリカから神戸大に来られている方に、サブコースの受講生が日本語を教えるといった機会があるといいでしょう。その際、日本人学生だけでなく、留学生が教師役になるのも大変良いことだと思います。教師と学生という堅苦しい上下関係でなく、同じ学生同士が対等の立場で、日本語を通して交流を深めていく。そんな関係が国際文化学研究科のキャンパスのあちこちに見えてくると、非常にいいのではないでしょうか。

―昨今の政治情勢などを受けて、「外国人が増えるのは不安だ」という声も聞かれます。そういった社会の空気をどう感じておられますか。

梅屋:情報が少なすぎるんだと思います。外国人に対して怪しいとか、あまり増えてほしくないと言っている人のほとんどが、外国人と接点がない人です。今、パスポートを持っている日本人は全体の約10%程度だとも言われています。ですが、やはり相手の国に行くなどして接触した経験がないと、お互いのことを本当には理解できません。私は、ウガンダの村に学生を連れていく実習授業をしています。すると、「先生と一緒でなかったらアフリカなんて一生行かなかった」と言っていた学生が、在学中に二度も三度も行ってしまうんです。そのような姿を見ていると、情報量と経験の不足が、根拠のない恐怖に結びついているのではと……。

石川:同感です。国際文化学研究科はすでに非常にグローバルなコミュニティになっていて、同じ教室に外国人がいることがごく普通です。本学で、国籍を超えて人と人とが触れ合うモデルケースをたくさん作り、それを世に発信していくことが、外国人に対する排斥意識に健全に対抗していく道筋なんじゃないかと思います。

 

複雑さを、複雑なまま受け入れる

―最後に、国際文化学研究科を目指している方や、この対談を読んでいる一般の方に、伝えたいことをお聞かせいただけますか。

梅屋:最近の社会には、何でも「ゼロか100か」みたいな、完全を良しとする傾向があるように感じます。でも、学問も人間ももっと複雑なものです。その複雑さを複雑なまま認め、自分自身の理解が到底及ばないインコンプリートなものもたくさんあるという状態を受け入れる、「ようわからんけど踏み出してみよう」という、もっと柔軟な生き方もいいんじゃないかと思います。幸いにも国際文化学研究科は、中途退学者が非常に少ない研究科です。在学中に結婚されたり、出産されたり、学業だけで他を抑制するような生活をしていない学生が多く、修了生からも「快適な居場所だった」という声が多数聞こえています。そういった場所で数年過ごしてみてもいいかなという方には、ぜひ進学を考えてもらいたいですね。

石川:神戸大学の学風は、神戸の街の特徴とも似て「明るく開かれている」ということですが、なかでも国際文化学研究科は特に神戸大らしい存在だと思います。狭い視野でやみくもに中心を目指すのではなく、そこから健全な距離をとって、開かれた明るい環境で、さまざまな国の人たち一緒になって誰もやらない面白い研究をやってみる。そういうところに魅力を感じる人は、ぜひ一度研究科をのぞいてみてください。

 

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